「エッフェル塔とお菓子と貴女(広尾の掌編小説 4)」

2020.2.29

いつもより早く仕事が片付き、ネクタイを外して息をもらした。

すこし前まで集中していたぶん、終わったら疲れがにじんできた。

 

早く帰宅したいところではあるが、

一休みしてからにしようと駅前の珈琲店に入った。

とりわけ難しい案件ではなかったとはいえ

長期の企画が一段落して安堵した。しばらくは早めに帰れるだろう。

 

今日は久々に早く家に帰れる。そう考えるだけで

頬がゆるみそうになり口もとに手をやった。

 

夜遅くに帰宅すると眠そうに出迎えてくれる奥さんの姿が思い浮かん

だ。

先に休んでいてもいいよ、と言っても

いつも起きて待ってくれているのがいじらしい。

そして彼女は「美味しいお菓子を買ったから、一緒に味わいたくて」

とふんわり笑ってお茶を淹れる。

あたたかいお茶は以前一緒に選んだ専門店・椿崇善のものだった。

 

よく仕事帰りに待ち合わせするというのもあって

奥さんはずいぶんと広尾のお店に詳しくなったようだ。

「今度また一緒にいきましょう!」

と目を輝かせて誘ってくれるのを嬉しく思いながら

つい不器用に返事してしまう。

 

この前に話していたのは洋菓子店だったか。

少女のような表情をして、

「エッフェル塔がお菓子でできているのが目印なの」

そう話していた。たしかアルノー・ラエールというお店だったか。

 

スマホで検索してみれば、ここから数分の距離だった。

お土産に買って帰ろう、と思い立ち珈琲店を出た。

 

外は冬の弱い陽が街にそそいでいて二月の午後としてはあたたかい。

広尾の街はにぎやかで時間帯のせいか子どもや若い人が多かった。

 

いくらか歩くと目的のお店がすぐに見えてきた。

明るいオレンジ色のお洒落な看板と

ショーウィンドーに飾られたお菓子のエッフェル塔が目を引いた。

ガラス張りの店構えで入る前から

お菓子が陳列されているのがよく見える。

 

甘いもの好きの奥さんが気に入りそうなお店だった。

 

こういった可愛らしいお店に男性が一人で入るのはどうか、と一瞬ため

らったが男性の店員もいる様子だったので

安心して扉を開けた。

 

なかに入るとバターと砂糖のほんのりと甘い香りが鼻をくすぐる。

 

黄金色に焼き上げられた洋菓子や

ショーケースに並ぶケーキは艶やかで、目移りした。

どれも美味しそうで、そしてどれも奥さんが好きそうで悩ましい。

 

久しぶりにケーキ、と思ったが奥さんと来たときに選ぶ方がいいか。

一通りじっくりみてまわったあと、お土産は焼き菓子に決めた。

 

焼き菓子のなかでも特に妻の好みに合いそうな

フルーツ入りのパウンドケーキと、

レモン風味というマドレーヌを選んだ。

 

店員がにこやかに商品をレジに打ちこみながら

「随分と真剣にご覧になられていましたね。贈り物用にお包みします

か?」

自分はそんな表情で商品を見ていたのだろうか、と苦笑いした。

「いえその、妻に、ね」

はにかんで言えば「そうですか、それは素敵ですね」と微笑まれた。

 

店を出ると陽が西に傾きはじめていた。

ささやかな日常に、とびきりのお土産を持って帰ろう。

帰りをまっている人がいる家に。

 

 

作・天風凜(あまかぜりん)

 

 

 

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