広尾今昔物語

2021.9.24

広尾散歩通りマップ付広報誌「HIROOwalk」の第2号(2011年発行)から第21号(2021年発行)に連載されていた “広尾今昔物語”は、広尾散歩通り内及び周辺の同じ場所の今と昔の風景を見比べて当時の思い出を語るもの。

長年に亘り広尾商店街振興組合専務理事を務められた秋山洋祐さんが担当されていた人気コラムです。

残念ながらこのコラムの連載は終了してしまいましたが、ここで改めて “広尾今昔物語” をひとつひとつ振り返ってみたいと思います。

HIROOwalk第2号が発行された2011年からは今年(2021年)で10年が経ち、掲載当時には“現在”と表記されている写真も、今となればなつかしい“ 当時” の写真 になります。この10年の間にも広尾散歩通りは少しずつ変わってきました。お店の入れ替わりやイベントなど“当時”の思い出などを交えながら振り返ります。

記事はそのまま掲載いたしますので、スマホでご覧の方はお手数ですが拡大してご覧ください!


第3号

戦争からようやく立ち直り始めた1950年代。

まだ値段は高かったものの、冷蔵庫、洗濯機、トースターなどの電化製品が次々に発売されるようになりました。海底の洞窟に潜んでいたゴジラが度重なる水爆実験で安住の地を追われ東京に上陸するという元祖怪獣映画「ゴジラ」が1954年に大ヒット。また、現在も広尾散歩通りから東の方向に美しい姿を望む東京タワーが完成したのは1958年(昭和33年)です。

その54年後、この広尾今昔物語がHIROOwalk第3号に掲載された2012年は、世界一の高さを誇る自立式電波塔「東京スカイツリー」が開業した年となります。

2012年と現在(2021年)を比べてみると写真に写っている範囲の路面店は変わっていませんね。

HIROOwalkは年2回(5月・10月)の発行。それぞれ5月は大鮪まつり、10月は広尾フェア開催に合わせて制作されます。

5月発行の第3号は裏表紙が大鮪まつり2012の宣伝となっています。この年の大鮪まつりで解体された生の本まぐろは銚子漁港に上がった114.8㎏。解体は市場からお呼びしたマグロ専門業者が作業を行います。

解体ショーは沢山の見物客で賑わい、解体したばかりのマグロを柵やまぐろ丼にする準備を進める鮮魚福田屋の奥では聖心女子大生や商店街の有志をはじめ多くのお手伝いの方が活躍します。子供さん達に大人気のミニSLや毎回大盛り上がりのサルサバンドは今でも恒例イベントになっています。

*2020年、2021年は新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から大鮪まつりは開催されていません。


第2号

現在の舛勝酒店と婦人服RODEO DRIVEの間の道から撮られた写真でしょうか。聖心女子大学南門から降りてくる坂道と広尾散歩通りが交わる辺りです。1945年の写真にはコラムを執筆された秋山さんの子供時代の後ろ姿が写っています。

甚大な被害をもたらした東日本大震災が3月11日に発生した2011年は、原子力事故をきっかけに国のエネルギー政策の見直しも大きな議論となりました。FIFA女子ワールドカップで「なでしこジャパン」が初の世界一となり、この年の新語流行語大賞も「なでしこジャパン」。京都の清水寺で発表された当年の漢字は「絆」でした。秋元康プロデュースの乃木坂46が誕生したのもこの年です。

1945年当時の写真にある洋館“七星舎”は、現在はグルメバーガーのHomework’s等が入っている七星舎ビル。

現在「ブランドリサイクルショップ/アクイール広尾店」の場所には2011年当時、趣味・雑貨のお店「アウトレット2号店」がありました。また、お隣の「中華料理x炭火焼 もくもく」は、有名中華料理店で修業をされた息子さんがまだ加わる前でしたので、中華料理はなく「炭火焼 もくもく」として営業していました。


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